「原因」と「結果」の法則の読書メモ

 

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

 

なぜ読もうと思ったのか?

だいぶ前にニコ生でマスク被って放送していたひとが「この本は本当に良いですよ」と絶賛していたのを思い出したので読もうと思った。その人はもうニコ生を引退している。読み終わった後に調べたらどうやら自己啓発本の原点的な評価がされている本らしい。

 

どんな内容だったか?

人間の思いやビジョン(=原因)によって、それに伴う結果が生まれる、という主旨だった。不純な思いや利己的な願望を抱くことでそいつは刑務所入りになったり貧困を引き寄せたりするし、気高い理想を掲げてそのビジョンを見続けているやつはそれを実現する。よい結果を導くためには、原因を改善して禁欲的に努力すること。その法則には運の要素は存在しないから、結果だけを見て「あいつが成功したのは運が良かったからだよ」などとdisるのはナンセンス。

 

どう思ったか?

大筋の流れについてはケチを付ける気はないが、小学生の頃に先生から説教された内容とかぶっていたのであまりエキサイティングな本ではなかった。

この本で批判されているように、結果だけを見てそこに至る過程をブラックボックス化してしまうことはよくあった。例えば、常人がなかなか思いつきそうにない作品を見て「この作者は天才か」と思うだけで思考を停止させることがあった。これも「こういう自分になりたい」「こういう作品を作りたい」という熱意があり、そこに向かってロジックを積み重ねた結果というのは当然のことなのだが、そこに考えを及ばせることはあまりしなかった。従って、そのような人に出会うたびに「才能やろなぁ」で片付けず、その過程と原因を探ることで、自己を見つめなおすキッカケにもなりそうだと思った。

それから、自己啓発本にはありがちなのか、もしくはキリスト教的な宗教観に基いてなのしもしれないが、個人の環境や感情などのスケールの小さな話をしているのにも関わらず唐突に「宇宙」とかいう壮大ワードを挟んでくるのはやめて欲しい。「人間は、自分自身を正すことによって、はじめて宇宙の正義と公平さを知ることができます」と言われても脳が理解を拒絶してしまう。気軽に普遍化しすぎではないか。「宇宙」ではなくまずは「勤務先」や「町内会」レベルで語るべきではないだろうかと思った。