『ねじの人々』について
1〜3巻を読んだので思ったことを記録する。
なぜ読もうと思ったか
友人が面白いと言っていたから。
考えたこと
スマホの利便性
スマホがあるおかげで繋がりが必然的に生まれる。ラインで気軽に会話を飛ばせるようになった反面、送られた側はそれに対して何らかの繋がりが生まれてしまう。返信すれば当然コミュニケーションが発生するし、返信しなくても「既読無視(未読無視)をした」という意志表示をすることになる。スマホを持って、ラインIDを交換する以上、孤独に時間を過ごすことができなくなってしまう。コミュニケーションの敷居が下がった反面、一人で誰にも邪魔されずに過ごすことが難しくなった。
持ちネタ
オチにキャラクターの持ちネタを持ってくると綺麗に収まる。
(初出)
↓
(持ちネタ化)
↓
オチ
ピラミッド頂点の孤独
19話、20話の話の作りが綺麗だと思ったのでなぜ綺麗だと思ったのか考えた。
●初めと終わりは
はじめ:根地君主人公をやめたい
おわり:主人公をやめたいと思う気持ちが消える
行って返ってくるという構造になっている。
●役割と構造は
最初:主人公=山の頂
中盤:山の頂=孤独
●動機は
主人公やめる動機:根地君のやりたいことと噛み合っていない。根地君は自分が何者か知りたいだけ。向いていない。
●流れは
主人公をやめたい→主人公の存在とは→働く存在→なぜ働く→お金のため(主人公の仮説)⇔孤独のため(外的要因からの真実)→孤独を埋めるには?→友達が必要→友達はいるか?→いた→主人公をやってもよい
●何が良い
「孤独を埋めるには?」の部分の深掘りで第一話で抱いた疑問をつながっているのが原点回帰的で良い
一話目
この漫画で言いたかったことは何か
正しい方向になぜ?を問うと見えなかった万子ちゃんが見えるようになる。考え続けると見える景色が変わって見える。